アカデミー賞の外国映画賞に日本の映画が選ばれたことで、有楽町の映画館は
大盛況、ついでに納棺師への資料請求が殺到中......。
というニュースが。日本に一大納棺師ブームの到来。2009年の流行語大賞は早く
も「納棺師」と「ゴックンしていない」の一騎打ちに。
.....自分はこの映画まだ見ていないので、見てから改めて考えようと思いますが、
少なくとも資料請求の下りはあまりにも愚鈍。映画を見ただけで、本当に問い合わ
せる=納棺師の仕事をしようと思い立つ人がいるのだから。映画があまりにも美しい
からといえども、死体ですよよ。それで、ゾンビ映画とか見ている自分に「えーゾン
ビ映画好きなの?超キモい。首とか吹っ飛ぶんでしょー。最低」とか言われたら、
もう本当に生きていけない...。
"映画芸術"誌の
「2008年日本映画ベストテン&ワーストテン」のワー
スト1には、見事今回のアカデミー受賞作品が選ばれていました。偶発的(というの
は、ワーストが選ばれたのは2009年1月であり、アカデミー賞が受賞されてからでは
勿論ないから)であれ非常に分かり易い構図が生まれてしまったなぁ。
"荒井晴彦"というバイアスがかかっているのは明白ではあるが、それでも自分はこう
いうアンチテーゼを唱える雑誌の存在意義はあると思う。話題の作品をこき下ろす為
だけの雑誌ではない(ちゃんと「何が良いのか」という事も多角的に書かれている)
のは本誌を読んだことがある人は周知の事実なので、変わらず今後も映画を見た後の
参考にしたいのだけれど、驚くのは掲示板なんかに"アカデミー賞取った作品をワース
トにするなんてこの雑誌最低"という意見が存在していること。まあ、多分2chからな
だれ込んできただけだから無視すればいいのだけれど....。
そもそも映画芸術誌自体、映画を批評することが既に世の中で必要とされていない
のではという自覚的な意見も起きていました。2007年のベスト&ワースト時の討論
で奇しくも『恋空』の話題の時、宮台真司氏の意見でした。(no.422,55P)
(前略)むしろ「そこそこ感情を刺激されて、話のネタになればいい」という感覚で映画が享受されるんです。映画がターゲットにしている年少の観客が、百パーセントそうした連中だとすれば、年長の我々が「現実的じゃない」とか「批評的じゃない」という批評をして、いったいどうなるというんでしょうか。「あんたら見なけりゃいいじゃん、もともとお呼びじゃないんだから」ってことで終了です。(笑)
感動したもん勝ち。良しとされているものに乗れるかどうか。
基本的に良いと思えるものが多い方が楽しいに決まっている。常にニヒルに物事を
捉えすぎるとどうしても矛盾や善悪二元論にぶつかって、最終的に「死」と向き合
わざるをえない(そして、納棺師のお世話に...)
だから、人生ハッピーでいこうよ。苦しい事も悲しい事も、乗り越えていけばそこに
は希望があるはずさ。あと家族とダチを大切に。
「大衆的なものを嫌う」とか「サブカルの方が面白い」などということではなく、
絶対に覆せないもの、それは、どうしても乗れないものは確実に存在するということ。
一同がワッとなった時に、自分の「はじかれた感じ」を例えばコンプレックスとして
しまい込むのではなく、どうやって残していくかを重視する。
例えば仲良し女子高生が3人で『恋空』見に行って、2人が「超感動した〜ガッキー
かわいい!キャフン!」ってなった時に、実は一人だけ「.....これ何か、おかしくな
い?」と思ったその娘の今後に期待、みたいな。
(その意味で、黒沢清の「映画とは、自分が何者であるかを知る場所である」とは
よく言ったものである。)
不況の波とか言われて、自分自身そこまでストレートに影響を受けてはいないけれど、
案外世の中の空気というのは敏感に感じてしまうもの。そのためか、最近また映画を
沢山見ている。そうなればなるほど、どんどん映画や音楽に気持ちが向いていく.....。
皆もそうなればいいんじゃないかな!?
前述のベストテン&ワーストテンから、毎年いくつか見逃したものを掘り起こして
見るのだが、(『PASSION』見てみたい!)今回は一部で評判の良かった『人のセッ
クスを笑うな』を見ました。以下レビューは、1ヶ月くらい前に書いたものですが、
POSTしないで置いておいたものです。そろそろこのblogも終焉を迎えるので残して
おこうと思います。
僕は人のセックスを笑ったことはなく、SEXで笑うなんてソフト・オン・デマンド?
という程にこのタイトル自体まったく興味を持てるものではなくそもそも山崎
ナオコーラというペンネーム自体センスを疑う代物だと思うのだが、ストーリー自体
はやはり興味を持てるものではなかったにしろ、これは本当に良い映画です。
つまり全くの興味の対象にもならない映画がこんなにも素晴らしいのかというのは、
井口奈己の監督としての力量としか思えないなぁ。出演者や恋にファンタジーを求め
て映画館に駆け込む人々の期待を裏切るだろう事は監督自身明白だっただろうに、
よくぞ本当に撮りたいものを撮った、という感じ。
この映画を的確に評価しているサイトを探し当てられず、むしろ酷評だらけ。
一番の要因が「画が長い」。事実大胆な長回しで映画全体がノロノロ。
さすがに私も「何でマツヤマケンイチが女子と毛布に包まってぬくぬくしているのを
延々見なきゃならないのか.....」と自問したくなるくらい一つ一つのシーンが長いの
だが、それを単なる監督の自己満足と捉えるのはあまりにも安直。
「なんで靴下だけ履かせたの?」「.....趣味」という会話がその全てを物語っている
ように、この映画は誰かを倣ったようにみせかけて、実はその個人個人でしかありえ
ないもの、差異(ここでいうとそれは「恋愛」なんだろうけど)に徹底的にこだわっ
た作品であり、だからこそ映画の中で俳優達が本当にその役で存在しているくらい、
演技を越えた生々しさ、つまり「現実性」が見えたのではないか。このノロノロした
217分とは"対象の入れ替え不可能性"の具現化なのである。
これと真逆をいくのが昨年見た衝撃作『恋空』。この2作品は本当に良い対比になる
なぁ。これはまさに「誰しもが一度くらい布団の中で夢想するファンタジー」を模し
た作品。絶対現実には起こらないのに。ただただ夢の中でのぬくぬくしたイメージの
連続。そこに現実との対立も、批判も何もない。(で、それが「現実的じゃない」と
か「批評的じゃない」という批評をして、いったいどうなるというんでしょうかと言
われてしまう繰り返し)
「誰しもが一度くらい布団の中で夢想する」程度の寓話に心が動き「彼ら彼女ら自身
でしか有り得ない=交換不可能」な寓話に興味が湧かない、というのは言い換えれば、
自分がイメージできるものに対する共感と、そうでないものに対する無反応、つまり
は結局興味があるのは自分だけで、今の若者にとって人のセックスなんて最初から
興味がなかったのである。自分では理解できないものを他者は嘲笑するものだから、
「人のセックスを笑うな」という投げかけとも捉えられるタイトル、これまたうまく
言ったものである。
それにしてもこの映画の最大の貢献者は蒼井優ちゃん。人生の節目ごとに思い出した
い名シーンは全て蒼井優ちゃんが絡んでいました。一つは観覧車、2つめはホテル、
3つめはキスシーン。どれも素晴らしかった。映画でこんなものが表現できるんだと
唸りました。井口奈己ちゃん監督に、今後も期待したいです。
最後に
中原昌也氏が日比谷カタンとのトークショーにつけたタイトルが
「人のセックスに伴奏をつけるな」
最高のネーミングだなー。